平安座島の年中行事
旧盆17日会
おこり
出稼ぎで、島外で頑張る男衆は正月と盆には稼ぎと土産をもって島に帰ってくる。 島が賑やかになるのも、正月、盆のこの時期である。 古くから「17日会」と称し、正月、盆の17日には有志・区民が揃って宴会を催した。 おそらく、正月、盆が終わると出稼ぎで男衆は島を離れる、17日会は一時のクシユックィー(骨休め)だったのだろうと推測される。 女性はご馳走とウスデークで、男衆を精一杯もてなした。 7日は、ラッキーセブンで縁起のよい日である。17日は、重ねること尚よしと言うことになろろうか。
ウスデーク
ウスデークの歴史は古く、エイサーより先に出来たと言われている。 ウスデークの大節(元節)の「首里天じゃなし」の曲は第二尚氏王統、尚真王(1477~1598)を称賛し、詠ったもの。 その後、琉球王朝 13代 尚敬王(1713)の時代に神遊歌としてのこねり(舞踊の意)としてはじめられた。即ち、しぬぐで九州方言に呼び替えられ臼太鼓と呼ばれるようになったもので約300年の歴史があると言われる。 各字(平安座以外)のウスデークは9節から13節であるのに対し、平安座のウスデークは、30~40節もあり驚異である。 おそらく東、西、前の3組が競ったのではないかと思われるが真実は不明である。 娘や妻が、ウスデークにでるのは、縁起のよいことでウスデークを踊るとなれば、わざわざ晴れ着(ウスデークジン)を新調して着せる程、気配りした。
エイサー
もともと平安座島には、エイサーは無かった。昭和53年、平安座中学校23期卒業生(昭和30年生まれ)が、安慶名エイサー(指導:16期生 徳門朝明)を練習して始めたもの。その後、歴代青年会が意思を継ぎ、ひとつ増やし、ふたつ増やし、試行錯誤して、今日の平安座エイサーを創りあげてきた。 産声あげて、今年で32年目を迎えた。 エイサーの本場、うるま市の中で、平敷屋、屋慶名と肩を並べる程、成長した。
(文:下條義明)