平安座島の年中行事

旧正月行事

ニントゥーウガミとハチニントゥ

ニントウウガミ

正月の儀礼の中で年頭廻礼がある。「年頭拝み」(ニントウウガミ)と称するこの儀礼は、最初に必ず東隣りの家を訪ねることをきまりとする。つづいて本家や門中の宗家、特に高齢者のいる年長者の家への廻礼を怠らない。けれども女性が朝はなから回礼に歩くことを忌む。女性の廻礼は男性の廻礼が済んだ後、おおむね午後になって歓迎される。

「イヒャネー」と称する今では行なわれない祖霊へのあいさつ儀礼もある。膝頭を床について小立になり、目を仏壇の高さにして拝む。両手を頭上高く捧げ、伏して「どこそこのシジ(血縁)の者であります。今年も健康にさせて下さい。」 という旨のあいさつをするのである。そして香をたく。廻礼先でも塩をいただくのは自宅での儀礼と同様であり、これはつまり黄金塩(クガニマース)、銀塩(ナンザ)、繁昌塩なのである。そして杯をもらい新年の招福の縁起を寿ぐ。この廻礼を「正月まーるー」という。一家の主や長男が回礼に出る。

ノロを中心とする七人の神人はこの朝、野目殿内の殿(神屋)の火の神、ウカマの前で「初年頭」と称する初祈鋳の儀礼を行う。十数年前までは神人のみの行事であった。もとは部落から酒一升が神人に贈られていたのであるが、ガルフ社が進出してきてからは、自治会役職員、有志、島内企業関係者一同この一年の平安座の繁昌を祈るようになり、ごちそうは、自治会から大皿ニ盛り、酒一升が用意される。そして三味線の音が流れる。

あらたまるとぅしに たんとうくぷかざてぃ

くくるからしがた わかくなゆさ

(改まる年に 炭と昆布を飾り 心も体も 若くなる)

をはじめ、嘉例(カリー)の三曲が演奏され、歓談する。舞いも飛び出る。

本土の門松にあたる慣行として、門前と床の間に若松を飾るが、締縄、門竹、鏡餅は平安座の正月には出て来ない。これは本土風のものである。お年玉の慣行も平安座固有のものではない。

また元日は、去年の暮の二十五日に昇天した火の神が降臨する日とされ、十二本の線香をとぽし、ゆく年にあった加護に感謝し、来る年の幸も祈願した。十二本の線香を立て、また金円をそなえる風習もあった。

ハチウクシー

「初起し」(ハチウクシ)。一年中の仕事初めの日。これは農業以外のすペての職業に及びたとえば漁業、商業、大工、海上運送(山原船等)などの仕事はじめを意味する。漁業の場合は、自宅の前にイグン(銛)、ウーキグヮーカガン(桶鏡)など漁具を並べてその両端および中央の三ヵ所に神酒をかけ、息災、豊漁を祈る。昨年の暮から船の表(舳先)と艫に松が飾られていたところに、元日になると、花米と神酒が「うしちき」(帆立)の所にもとりつけられる。初起しの日になると船主宅には船子たちが集まり祝酒とごちそうをふるまう。

その他の職業では大工が鋸の目立てをする風をしてみせる。町屋(商店)では初の来客にハチガニーと言ってサービスをしたりするけれども、山原船、漁船、渡船が海上で花と見まちがう旗飾りをしていた時代が盛大な初起しであった。

山原船の初起しは、船主、船頭、船子が勢揃いした。それに家族が午前中に船に集まった。船室の一角に設けられた船霊(海神)に海上安全を祈り終ると、初出港のかたちを演ずる。船頭がカンゾーと名づく船室に登り、かぢ棒を舵に継いで立ち、二人の船子(カク)が舳先に出て錨を引き上げる動作でエイサ、エイサという。そしてイマーヌカージととなえると船頭がヲ(オ)ーと返す。これを三度繰り返すと、初出港にともなう祈りの行事があげられたわけである。祈りはノロ以下の祝女が行い、伝馬(ティンマ)など付属船にも祈願をした。済むと一族朗党が揃って祝うのである。

山原船の初起し嘉例吉(カリユシ)の歌が唄われる。

みふなだまがなし 御船霊加那志

かりゆしぬうにげ 嘉例吉ぬう願

ふなとぅからかくじゅ 港(のこと)から船夫衆(のことまでも)

ゆくぬうにげ 沢山ぬう願

かりゆしぬふにぬ 嘉例吉ぬ船ぬ

とうなかはいじりば 渡中走い出りぱ

なみんうしすいてぃ 波ん押し添いてぃ

はいぬちゅらさ 走いぬ美らさ

歌意は、御船霊加那志(船神)のめでたさを願い、それにもましてフナトーの幸運を願う、船神の縁起にあやかった船が波を押しわけて渡しを漕ぐ姿の何ときれいなことよ、ということであろう。

ウビナディ

ウビナディ

若水や産湯をとる産井であるユサジガーから汲む<お水>を盛った器に中指を浸し、額を三回撫でる「ウピナディー」。水(ミジ)撫とも言う。シディ水(脱皮再生の聖水の義)を浴びるのと同じように若くなると信じられている。午前中の門中祭祀の時は、門中の神女ウクディを先頭に代参の人々が先祖ゆかりの井泉を回ってきて、花米を持ち帰る。午後はユサジガーの各門中のウピナディーがある。集まれなかった人には、代行がもち帰った花米を顔を東に向けて頭に乗せることで代行する。代参する泉井は、例えば奥田良門中はサカパル、ディーガー、ユサジガー、前浜門中がユサジガー、ディーガー、仲上門門中は、この正月三日と九月九日にもウピナディーを行う。このように門中によって多少の相異はある。

祈願に要するものを入れた携帯用の御願道具に、瓶子(ビンス)という蓋付きの縦十四センチ、横二十二センチ、高さ十四・五センチの玉手箱状の箱がある。中はいくつかに支切られ、酒を入れる対瓶、杯、花米、平御香(ヒラウコー)、白紙などが入っている。蓋を開ければそのままウグヮンに使用される。蓋の中にウピー(お水)と花米を入れて、氏子が各自摘みとるよう回される。門中の女性たちが瓶子、丸餅、菓子などの用意をして宗家を出発し、ウピナディーをすんだあとまた、宗家に戻って仏壇に報告をする。門中全員揃って一日を楽しくすごす。ふだんでも産児があると、宗家の仏壇へ報告する習慣がある。

ユサジガーの東にある生活用水井戸は、すぐ上にある豊河から土管で通した水場である。戦後の平安座市時代の需要によって造築された。豊河は、戦前は爆弾三勇士記念河と呼ばれていた。豊河の源泉は、その東およそ一五〇米にあるアガリガーである。

ナンカヌスク

ナンカヌスク。呼称の由来については、七日の食、七日の節旬、七日の祝など多くの説がある。古くはナーズーシーと言って野菜を入れた雑炊をつくり、あるいは現在の八十才代の人々の小さなころにはおかゆ、また最近は簡単なおかずを仏壇にそなえている。そして仏壇のすべての飾り物や供物を全部かたずける。本土の松の内が七日まであるのと対応している。これを「スクヒツン(スクを引く)」と言い、朝の行事である。

(平安座自治会館新築記念誌より)

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