平安座島の年中行事

伊是名清明

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15世紀の琉球王国時代、勝連半島を勢力下に置いていた按司である阿麻和利(あまわり)の配下であった高花按司(のちの伊是名大主)は勝連の貿易を管理していたとされる。

当時勢いを増す阿麻和利は首里城攻略の野望を抱いたとされ、王府に差し向けられた鬼大城(おにうふぐすく)に滅ぼされると、配下にあった高花按司は討伐をおそれて伊是名島に逃走して身を隠し伊是名大主(いぜなうふぬし)と名を改めていた。その後、尚家の王位継承争いが激化し、その中で鬼大城が滅ばされたという情報を聞いた伊是名大主は直ちに平安座城に復帰したが、再び按司に昇格することはできず、死去した。

平安座のイリーグスクの崖下にある伊是名墓は、高花按司(のちの伊是名大主)を葬ったところである。平安座住民のために尽くした業績、大なるものがあったとのことで、伊是名大主への恩返しが、伊是名清明祭として部落行事の中に現われたという。

伊是名大主の位牌は平安座の屋号丑番(うしばん)にまつってあるが、現在は大浦屋という。高花按司の直系の子孫は数代の後男子なく、同族である屋慶名赤の子孫が婿養子にはいり現代にいたっている。

(平安座自治会館新築記念誌より)

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